日本語教師を通じて得られる価値①

日本語教育
いつも授業お疲れ様です。
日本語教師のお金だけでは語れない価値についてご紹介します。
「時給換算したら割に合わないよ」
「平均収入が低い」
という声をよく耳にします。
確かに一理あります。
お金というのはその一つの指標ですので、
そのほかのことを指標にするという視点もあります。
日本語教師になったばかりで、どんなやりがいがあるのか
知りたいという方向けに
今日はその視点を一つ紹介します。
それは、出会いです。
普通に生活していたら、出会えなかった人たちと出会えました。
新卒でタイで仕事をしたので、タイ人の学生、先生、そこで働く日本人の先生、
帰国して入社した日本語学校は国際色に富んでいたので、40カ国もの学生達と出会いました。
その出会いを通じて、
新しい価値観に出会いました。
印象的だったエピソードを2つだけ紹介します。

①遅刻を注意するほうがよっぽどみんなの迷惑

日本語学校で勤務しているときのことです。
勤務校では出席率や遅刻に対して厳しく指導していました。
トルコの学生が1分だけ遅刻してきました。ルール上1分でも遅刻は遅刻としてカウントしなければいけないためその旨を伝えるとこう反論しました。
1分遅刻して他の誰かに迷惑をかけましたか。
そうじゃなかったら今先生が私に注意することでみんなの時間を奪っていることになりますよ。
その時は一瞬、何、この屁理屈?
と思いましたが、確かに1分ぐらいには目をつむって、授業をさっさと進めたほうがみんなの時間はなくて済みます。
ただ、1分でも遅刻は遅刻という固定観念に気づかされました。
彼の立場でこの反応するのはどうかと思いましたが、
言われてみれば1分の時刻など些細なことです。
いかにクラス全体の雰囲気をよくするか、
いかにクラス全体の日本語能力を鍛えられるかどうか、
こっちの方が本質的な問題だと気が付きました。
これを機会に、何でもかんでも注意するのではなく、この場合クラス全体にとって、またその学生にとって有益であるかどうかというフィルターを通した上で注意するようにするきっかけになりました。

②仲間意識

タイの大学で日本語副専攻の授業を担当した時のことです。
この日はテストだったので試験監督をしていました。
いつもニコニコと楽しそうに授業受けていた学生たち。
いったいテストではどんな結果になるんだろうかと楽しみにしていました。
するとそこには驚くべき光景が。
こちらの目を盗んで、解答用紙を友達に見せているではありませんか。
一瞬目を疑いました。
彼らにとって、悪気はなく、シンプルに友達を助けているだけなのでした。
そのとき、タイ語では説明できなかったので、
タイ人の先生を呼び、事情を説明しました。
テスト中はそれ以上カンニング行為をさせることはなく、終えることができました。
終わってから通訳してもらいました。
「試験お疲れ様です。私は日本人なので、皆さんと考え方がちがうかもしれませんが、一つだけ皆さんにお伝えしたいことがあります。
もしかしたらカンニング行為は仲間を助ける行為、優しさだと感じているかもしれませんが、それは優しさではありません。日本では不正です。
今日のテストは乗り切ったと思っているかもしれませんが、
大学に来て勉強しなかったり、自分の力で乗り越えようとしないのは、皆さん自身に失礼です。
皆さんはカンニング行為なんかしなくても、自分でできるすごい人たちのはず。
もっとちゃんと自分の力を試してみてください。そして向き合ってください。」
うまく言葉にできなかったけど、
仲間を助けていると勘違いしているのを伝えたかったです。
そもそも考え方が違うので、
その考えを変えようとしたのは少々出過ぎた行動だったかもしれないと
少し反省もしています。
出会いを通じて、心が動く瞬間が何度もありました。
日本語教師で得られる出会いは無限大です。
また日本語教師の価値を思いついたらぜひシェアしたいです。

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